──PRの力でNPOの認知を広げたいという想いでPR会社に転職されたそうですね。そう決意された背景には、どのような想いがあったのでしょう?
もともと学生の頃から、国際協力の分野や途上国の問題に関心があり、将来的にはNPOの現場で働くことを目標にしていました。商社で働きながら、NPOへの転職を考えていた頃、様々な団体のことを調べている中で、NPOの活動や団体のことがそもそも知られていないという問題があることを知りました。資金難ゆえに広告にお金がかけられず、認知が広がらない。そのために人もお金も集まらない。その悪循環を断ち切るために、PRの力でNPOの活動を世の中に広めていきたいという想いが高まり、とにかく経験を積むために、現在のPR会社に転職しました。以来、あらゆる業界のPRに携わってきました。
社会的にどんなに価値のある素晴らしい取り組みをされていても、ポテンシャルをもっている団体であっても、それが世の中に伝わっていかない限り広がりは期待できません。伝え方ひとつ、方法ひとつでそれは変わっていきます。それがPRの力です。広告を打つのではなく、メディアを通じて「報道」というかたちで世の中に情報を発信するPRは、広告が出しづらいテーマを扱う団体とも親和性が高いと考えています。
──FRJに初めて参加されたときのことを覚えていますか?その時、ご自身が翌年スピーカーとして登壇することを想像していましたか?
NPOの広報について色々と勉強していく中で、「広報」と「ファンドレイジング」が密接に結びついていることを知りました。初めてFRJに参加したのは昨年のことです。とにかく異次元の熱量の高さに圧倒されました。「なんだこれは!」と思ったことを覚えています。参加者同士の距離感も近く、どのセッションでも参加者同士で話をする機会がありました。たくさんの人の想いに触れ、一人ひとりが目指していることを知り、「いい取り組みをしているな、応援したいな」という想いが高まりました。各分野で活躍されるスピーカーの皆さんの、惜しみなく知見を共有する姿にも憧れを感じました。
しかし、圧倒的な熱量やポジティブのかたまりのような方達を前に、まさか自分がスピーカーとして登壇するとは1ミリも想像していませんでした。そもそも、公募でスピーカーを募集していることすら、当時は知りませんでした。参加後、すぐに研修を受けて「准認定ファンドレイザー」の資格を取得しました。日本ファンドレイジング協会からスピーカー公募のお知らせを受け取ったのはその頃です。その時、自分もあの舞台に挑戦してみたいと思いました。
──「PRマン✕ファンドレイザー」という、いずれの世界においても新しい存在である伊東さんが、FRJという舞台を通じて、そしてその先の未来を見据えて実現したいことを教えてください。
学生の頃、「世界がもし100人の村だったら」というテレビ番組を見て、フィリピンのゴミ山に住む少女の姿に衝撃を受けたことを今でもハッキリ覚えています。この体験は、後に国際協力の分野に関心をもつ出発点になりました。と同時に、新しい世界を知るきっかけとしてのメディアの力を認識した瞬間でもありました。
PRは可能性を追求する仕事です。一つの小さな報道に火がつき、一気に現象化していく。そのPRのもつ力、無限の可能性をセッションの中で感じていただきたいと思っています。個人的には、社会課題に取り組む団体と社会貢献に関心のある人々をつないでいくファンドレイジングという役割を、PRの力でもっと広く繋げていきたいと願っています。NPOが発信力を高め、メディアに取り上げられる機会が増えることで、その先にいる社会貢献にこれまでまったく関心のなかった人たちにも輪を広げていくことができます。「PRマン✕ファンドレイザー」という自分だからこそできることを実現していきたいと思っています。
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