2020年5月以降、新型コロナウイルスに関連して、寄付についてのメディア取材を2、3日に一度は受けるようになりました。今、寄付を取り巻く環境が大きく動いていることを多くの方が感じていらっしゃるのだと思います。
このコロナの影響は長く続きます。そして、その中での寄付の役割も長く続いていきます。ステージによっても変わります。そこで「新型コロナと寄付」と題して、連載形式でコラムに記していきたいと思います。社会の状況も、私たちの認識も日々変化していきます。後で振り返ったときに、その時どきの感覚は、ひと月後には思い出せなくなっているかもしれない。その意味でも、10年以上日本の寄付やファンドレイジングに携わってきた者として、今の寄付の動きを「記憶」と「記録」の両方に書き留めていきたいと思います。
コロナ関連の寄付は2月頃から徐々に、最初は医療支援などから始まりました。当初は、感染拡大防止のための支援が中心で、次に休業したライブハウスや居酒屋支援などが盛り上がりました。初期のステージでは「感染拡大防止」が中心のテーマで、それ以外の寄付募集もあったものの、全体としてはむしろし難い空気がありました。
3月頃から、休校措置、営業自粛、在宅勤務といった動きが出始めたことで、感染拡大防止だけではなく、生活困窮者や社会的弱者の支援、子どもたちへの教育支援などの寄付募集が出始めました。4月に入って特別定額給付金の一人10万円給付が決まったあたりから、この流れが一気に変化しはじめました。総額12兆円にも上るこの給付金を、今は生活に困っていない人や富裕層も受け取ることになるため、「申請してもらって、寄付するのがいい」という声が政治家、メディア、著名人の間でも出るようになりました。4月下旬の意識調査(※)によると、21%の人が「給付金の一部または全部を寄付してもいい」と回答しています。
※「新型コロナウイルスに 関する緊急意識調査」(株式会社山猫総合研究所・一般財団法人創発プラットフォーム)
クラウドファンディングのプロジェクト数も急増しました。クラウドファンディングの事業者によると、サイトへのアクセスも寄付額も急激し、特に特徴的なのは、新規にアカウントをつくって寄付する人が多くいることだといいます。つまり、いつもは寄付しない人が寄付をしている。あるいは、いつもは団体に直接寄付する人がクラウドファンディングを通じて寄付をするという状況が生まれてきています。
その背景には、今回は災害時の「義援金」(義援金受付団体に集まった寄付金で、被災者一人ひとりに配られる見舞金)のように、「とりあげずここに寄付しておけばいい」というような寄付先がないことがあります。そのため、自分で「選択して寄付する」ということをしなければならないという状況が生まれています。
振り返ると、1995年、私の生まれ故郷の神戸は阪神淡路大震災で被災しました。延べ137万人ものボランティアの方が支援に駆けつけ、後年この年は「ボランティア元年」と言われました。2011年の東日本大震災は、津波の影響が広範囲に及び、最初はとても一般のボランティアが被災地に入れる状況ではないというイメージが広がり、皆が寄付を選択しました。76.8%もの人が金銭ないし物品寄付するという状態が生まれ、のちに「寄付元年」になったという声もありました。
今回は、感染拡大リスクからボランティアがしにくいということがあり、東日本震災の際と状況が似ています。寄付は「家からできる支援」であり、給付金の後押しもある。しかし、義援金のような分かりやすい支援先はないので「選択」しなければならない。そのため、非常に多くの人が共通体験として、「寄付先を選択する」という行為を経験するという状態が生まれるわけです。
この状況が生み出す時代的、歴史的な影響は決して小さくないと思います。
寄付というのは、税金と異なり強制的なものではないため、寄付先を選択するということが必要となります。しかし、一方で「どこに寄付したらいいか分からない」という声も多くあります。では、どうすれば自分にとって腑におちる寄付先を選ぶことができるようになるのかというと、これは、「実践経験として寄付先を選ぶ体験を積み重ねるしかない」という側面があります。正解はないので、自分なりの正解を見つけるしかない。考えて、選んで、それが自分にとってどのような達成感があったか、どう感じたのかのPDCAを回すような感覚です。
今、見えないところで日本の寄付文化が大きな変化を遂げつつある可能性があります。
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