新型コロナウイルスが引き起こしている様々な現象禍において、より弱い立場の人たちにその影響が作用している。公的な支援を受けられず(もちろん、それだけでも十分ではない)、書き消されてしまう声に耳を傾け、必死に現場で支援をしたり、支援を継続するための支援者も日夜、目にみえないウイルスへの恐怖と、経済的な不安と戦いながら活動している。
国内でも日々変わる局面において多くのNPO支援者がリソースをまとめたり、発信したりしているのに加え、フィランソロピーや非営利組織のマネジメントについて、より体系化された知が蓄積されている欧米においても、過去の例からどうこの状況を乗り切るかという議論が熱を帯びている。多くが過去2007年~2008年の米国の大不況をどう非営利組織が乗り切ったかという例であり、確かに示唆に富むものが多い。しかしこの10年は、同時に非営利セクターにおいても様々なパラダイムシフトが起こり、より持続可能な社会を目指す声が世界的にも高まり、オンライン化がこの混乱に乗じて一般化し、ミレニアルズの感覚のユニークさが注目されたり、組織の在り方の多様化も認められたりしたように感じている。
多くのNPOが5月・6月、この先行きが不明な中で、年度計画や予算を立てなければならない。しかし、誰も答えを持っていない中で、ただ組織のリーダーたちだけが組織や事業の継続に頭を抱えたり、経済的な不安に悩んだり、何より、支援を提供できなくなる恐怖と戦わなければならないのは避けなければならない。そんな中で、米国と日本の両方の非営利セクターの経験をもち、メンタルヘルス専門のバックグラウンドも持つ著者が、過去のフィールドからの学びに、少し現在的な視点を加えながら、「今自分たちは何をすべきか」を考える際の視点について伝えたいと思う。
なおベースにする記事はStanford Social Innovation Reviewで2010年にリリースされた Alan Tuck, Don Howard & William FosterのOutturn the Recession「https://ssir.org/articles/entry/outrun_the_recession#」の記事である。同記事は過去30年の中で最悪だと言われた米国の2007~2008年の金融危機において、長期的に作用するその影響において多くのNPOが助成の打ち切りや減額を経験した反面、様々な方法をとって生き延びている団体が、実際どんなことを行ったかを7つの特徴としてまとめている。
最初から出来れば苦労しない…と言いたくなる見出しではあるが、記事によると、「不安が私たちの行動に与える影響は大きく、不安に駆られて考え半ばに行動に移してしまったり、思考停止に陥らせたりする」ということは当然のこととしたうえで、「非営利組織のリーダーは慎重な意思決定と迅速な行動化が必須」だとしている。ボストンのホームレス女性や子どもを支援する団体は4,000万円くらいの支援打ち切りが見込まれており、今後どうなるかわからない不安に陥っていた。そのときに、団体のリーダーシップチームは、「もしも」に備えるプランを立ち上げ、「仮にこのまま助成や支援が打ち切りになり続けた場合」のシナリオを考え、その団体が組織として旗を立てている基幹プログラムの存続を第一に考え、他のアドボカシー活動や一般管理費を節減した。これによって、団体は生き延びることが出来たとある。
そもそも日本のNPOで4,000万規模で事業をしている団体が相対的に少なく、この言及自体が複数の事業を行っているような団体を対象にしているように考えられる。ただ、ここで「自分の団体と関係がない」といって、見過ごすのは時期尚早であり、なぜなら、どんな団体であったとしても、次の「一番大事なことを守る」と同時に、危機下における集中と選択が大事なことは自明である。なぜなら、自団体のミッションや存在意義と照らして、判断を誤ることで、本当に支援を必要としている人たちを支援出来なくなる可能性があるからである。悪いシナリオを考えることは誰もしたくないことではあるが、私たちが日常的に防災や備えをするように、「もしも」の時に備えるためのリソースの棚卸しや、方針決めが必要になる。
しかし今日的にここで大事なのは、この備えを組織のリーダーだけに委ねないことかもしれない。そして「思考停止に陥った、または陥りがちな」リーダーを孤立させないことではないか。メンタルヘルスの観点からいえば、不安が強い状況や、抑うつ状況にある場合にある人に善い判断が出来ないのは当然である(場合によっては、リーダーは不安を表出しないように、より高圧的かつ支配的になったり、逆に不安を表出しないように、内向きにすらなる可能性すらある。しかし、それは人間の防衛反応としても当然である)。しかし、それはリーダーの弱さではなく、誰にでも起こりうることであり、トップダウン型のリーダーシップに頼るのではなく、組織全員がある種のリーダーシップをとり、ケアしながら行動を決める必要がある。こちらの方が短期的には時間がかかることかもしれないが、大きく道を逸れることは免れるかもしれない。物事を決める速さや、その間にチームや組織としてのPDCAをいかに早く回すかによって、ある程度カバー出来る可能性があることも示唆しておきたい。時代はすでに、トップダウン型、ヒエラルキー型のマネジメントに頼る時ではない。ただ多様な参加を促しながら、運営や事務局体制がトップダウンになりがちな組織が多いのは、また別な意味で興味深い(が、ここでは議論しない)、ティール型組織作りと、解放された職業人としての個人が現場で能力を発揮する例からも、学びは大きい。
資金減によって、これまで出来ていたことが出来なくなることがとても悔しいことであることは、非営利組織を運営している人やファンドレイザーは知っているはずである。記事は、このような危機下においては、「ただ、すべてのプログラムに対しての予算を減らすよりも、その団体がメインを張っているプログラムに資金を集中化されることも方法であり、これを実行に移すためには、理事会やリーダーシップチームの合意が必要で、そのときには、私たちの組織の本質を定義する仕事と受益者は何か?そしてこれらにいくらかかっているか?を問うてみることが大事」だとしている。
非営利組織にとって一番大事なものはなにか、と問われたとき、多くの団体が、ミッションやビジョンの達成だという。最近話題になっているパーパス(目的)志向型の団体でも同様であり、そもそもそうではなく事業をしないなら、何も非営利組織や、このような形態の組織運営形式をとらないということから考えても、本質的には、ミッションや目的のために存在しているはずである。
非営利組織は事業を拡大するときに、ミッションや定款に根ざし、またはそこにどうフィットするかを考えることが常である。そして、このように社会全体が危機的状況に陥った時に、NPOで働く人たちの機微がよくも悪くも働き、より脆弱な人たちに目が向き、その人たちへも支援を拡大しようとする方にドライブがかかることがある。「放っておけない」、それは社会の中で「ケア」の役割の多くを担う非営利組織やそこで働く人たちの性かもしれない。ただ、そこでいったん、「私たちが支援を拡大することが、本当に全体にとってベストなのか」というのは、問う価値のあることかもしれない。これは「自分たちを優先して、放っておけない人たちを支援しない、冷たいNPOになれ」ということではない。社会には、自分たちと同じにように、困っている人を「ケア」している誰か、またはそれを自分たちより得意とする団体、もしくは個人(これはコミュニティやより小さな連帯を含めたインフォ―マルなものを含む)があり、その団体と、困りごとを共有することや相談すること、時にはゆだねることや、役割を分かつことで、面で支援することへも繋がる(これは待っていれば誰かがやるだろう、という受動的な態度とは異なり、能動的に組織・連携するものを意図する。これはややもすると、単なるサービスの縦割りに繋がりかねない)。もちろん、目の前にある問題の緊急度によって判断は異なる。ただ、不況は長期戦であり、目の前にいる人たちは課題の氷山の一角でしかないとした場合、それが長くなった場合に、「組織」が抱えられるかを考えることも、公益を担い、ある程度の社会的責任を担う組織であれば、必要かもしれない。そうでないと、目の前にいる人も、これまで支援していた人も、とも支援でできなくなる可能性がある。これは資金提供者側にも伝えたい視点であり、能動的に助成プログラムを構築し、リソースのコーディネートを進んで行うべきだと考えられる。緊急支援はもちろん重要であるが、資金提供者側も社会や経済の大きなうねりを読みながら、助成のスタンスを明確にすべきではないだろうか。問題の構造の複雑性を考慮し、財団と助成先という1対1の関係における助成だけではなく、資金とコーディネート力を軸に、課題と受益者を中心に据え、それに関わりうる複数の団体同志が有機的に繋がれるプラットフォームにお金と情報を流し、そこに財団のパートナーシップを発揮すべきである。
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