全日本ピアノ指導者協会(通称・ピティナ)は、ピアノの指導者や学習者をはじめ、一人でも多くの人がピアノや音楽を通じて豊かな「人間力」を磨けるようにサポートする団体です。
具体的には、ピアノ指導者の指導スキルアップのためのセミナーの実施や指導者ライセンスの付与、ピアノ学習者が自身の演奏の技術を磨くコンペティションの開催、学校の音楽の授業に演奏家を派遣する「学校クラスコンサート」などの活動があります。
川野辺さんの話はキャリアはもちろんのこと、昨今のウクライナ危機における音楽界の変化など、さまざまな切り口からお話をお伺いしました。
大学時代、オーケストラで団長を務めた経験から、音楽団体を運営する楽しさを知りました。
就職活動中は「音楽の仕事しかしたくない」と考えていましたので、その流れでオーケストラの事務局に就職できないかと模索していました。
そのように、私は最初からNPOへの就職を志していた訳ではありません。
結果的に就職先がNPOだったという表現のほうが正しいと思います。
就職先となった全日本ピアノ指導者協会(以下、ピティナ)は、イタリア留学時代の友人のご縁で紹介してもらいました。
ピアノを何か仕事にしようとはあまり考えていなかった当時の私にとって、ピティナは未知の存在でした。
しかし、知れば知るほど、ピティナは「ピアノの団体」というより「教育の団体」だと感じるようになりました。
ピティナはステージに立つ生徒さんとその先生、双方が音楽的・人間的に成長していくための事業を多角的に展開しています。
入社当初は、「音楽で世の中の役に立つことがしたい」と息巻いていたのですが、「公益的なことをやりたいなら、まず稼ぐことをちゃんと考えるべし」ということを、ピティナで仕事をする中で教わりました。
また、同時期にボランティアとして携わっていた一般社団法人エル・システマジャパンで、聴覚にハンディキャップのある子どもが音楽のステージに立つ機会に立ち会うことがありました。
この子たちの表現の場をなくさないために、この活動を支えるお金が必要なことを強く認識した瞬間でもありました。
聴覚にハンディキャップのある子どもたちがチェロの音を「聴く」様子
徐々に自分のやりたい「公益」と「稼ぐ」の2つが結び付き始めた時に出会ったのが、「ファンドレイザー」という職業です。
2019年にファンドレイジング・スクールで学び、ピティナでも徐々にファンドレイジング業務を担当させてもらえるようになりました。
団体のファンドレイジングの段階としては、まだ初回の寄付者が増えているフェーズです。
ドナーピラミッドを深化させていくための取り組みが急務となっており、遺贈寄付もその一つです。
2020年から遺贈寄付の専門家に伴走支援をお願いしています。団体の活動に関心を持ってくださる方からの一人当たりの寄付額は、ここ2年で改善の傾向にあります。
2021年度からは、会員・関係者向けに終活や相続に関するセミナーも実施しています。
会員歴の長いピアノ指導者から遺贈寄付の意思を記した遺言書を作成していただくというような成果も出始めています。
これからはお金の遺贈寄付と並行して、ピアノの現物遺贈も進めたいと考えています。
今後、病院や子ども食堂、ストリートピアノなど、より広く一般の方がピアノや音楽に日常的に触れる機会をつくっていきたいです。
そうした場で、亡くなられた方の思い出の詰まったピアノをアップサイクルするような「つなぎ方」を実現できないかと思案しています。
「子どもたちに音楽を」というと、「いいね!」「大事だね!」と皆さんが言ってくださるのですが、その割に日本の芸術教育はお金の巡りが良くありません。
行政の予算や助成金が芸術教育に流れにくいのもその一つで、日本国内で芸術はやはり「教育的価値」より「ぜいたく品」との認識が強いです。
そこで重要になってくるのが、ソーシャルインパクト評価です。
イギリスでは、2020年にEUを離脱するかどうかという瀬戸際で、音楽教育や楽器指導に対して約120億円の国家予算を継続支出することを決定しました。
ミッションは「音楽教育格差の是正」です。
イギリスでは2010年以降、音楽の授業の選択率の低下や中退率の増加が深刻化していました。
一方で、芸術教育を受けた子どもは、そうでない子どもに比べ成績や大学進学率などが優っているというエビデンスがあったことが、音楽教育への予算配分の背景にあります。
組織内でこの話題について議論したとき、現在、孤独対策に力を入れるイギリス政府が狙ったソーシャルインパクトは「医療費削減」ではないかという意見がありました。
特に「集団音楽」に予算の多くが投じられていたのですが、集団で芸術に取り組むことによって孤独とそれに伴う病気が減り、医療費の削減につながるというロジックです。
例えば街中に、病院に、子ども食堂にピアノが一台あると、個人やコミュニティにどんな変化が起こるのか?数値的な可視化が必要です。
日本では様々な官民連携教育が試みられていますが、その中で学校のプールの授業を民営化する動きが起こっています。
専門のスイミングインストラクターのほうが、体育の教員よりも安全に授業を遂行できるのはもちろんですが、それ以上に、学校のプールの維持費を削減できるという「目に見えるコストカット」につながるために、行政も動きやすいのだと思います。
一方で、日本の学校の音楽教育の環境を良くしようすると、どちらかと言えばコストアップになります。
楽器を一式揃えるのにも、大変なお金がかかります。
つまり、官民連携で日本の音楽教育の環境を良くするためには、よほど納得のいく「ロジック」がないと、コストアップの部門に公的資金は入ってきません。
日本の公的資金や支援性財源を芸術教育へ流すためには、ただ「音楽って良いよね!」で終わらせず、音楽による個人の自己肯定感や幸福度の向上・孤独感の減少・コミュニティキャピタルの変化といった科学的な指標を交えながらコミュニケーションしていかなければならないと思います。
ピティナの「学校クラスコンサート」では、音楽室にアーティストが赴き音楽を教えます。
ピティナのファンドレイジングを担当する傍ら、ライフワークとして、オーケストラでチェロを演奏したり、オーケストラ教育のボランティアをしたりしています。
個人のキャリアを俯瞰しても、「個人指導」と「集団音楽」で、性質が異なる音楽教育に同時に軸足を置けていることは良いことだと思っています。
私は、集団で音楽をやる本質的な価値は、「違うものを受け容れて、繋ぐ力を身につけること」だと思っています。
オーケストラの演奏は、多いときで100人近くの奏者が同じステージに立ち、それぞれ特徴の異なる100の楽器を同時に鳴らします。
これは「200人と同時にコミュニケーションすること」と同義で、基本的に無理をしないとできないことです。
その中で、お互いできることとできないことを認め合いながら、異なる音を重ねて、試行錯誤してハーモニーをつくるからこそ感動するのです。
このコミュニケーションのプロセスは、「異なる国の人や文化を繋げる」という文脈にも当てはまるものがあります。
異文化理解というのは、「本質的には理解できないもの」と認識することがスタート地点で、その上でどのようなコミュニケーションを重ねて互いを受け容れるのか、というプロセスが重要です。
このことを体験的に理解するのに、集団音楽はとても質のよい教材です。
3月には、在日ブラジル人の楽器プレイヤーたちと音楽で「繋がる」機会がありました。
しかし今、そんな「受け容れて繋ぐ」はずの⾳楽が、ある種「排斥」の側に⽴つ事態がこっています。
2022年2⽉のロシアによるウクライナへの軍事侵攻以来、ロシアの歴史に根ざした特定の楽曲の演奏が世界中のオーケストラで避けられたり、ロシア人の音楽家が表現の場を失ったりしています。
今、特定の国の音楽が芸術の現場から消えていくことが、はたして「平和」に繋がるのかということを、チェロに触れるたびに考えています。
外交と芸術を完全に切り離すのは簡単なことではありません。
しかし、ウクライナとロシアの「平和」を願うなら、音楽は常に「受け容れて繋ぐ」ものであってほしい、音楽家や芸術の事業に携わる人にはその姿勢を貫いてほしいというのが、一楽器プレイヤーとしての切なる願いです。
ソーシャルグッドな仕事をしたいという思いが、そのまま「NPO法人」という法人格にこだわった就職に結びついてしまうのは本質的ではありません。
企業には企業の、行政には行政の、NPOにはNPOの、それぞれの角度の強みを活かした「社会貢献」があります。
あなたが関わりたいと思う社会課題の中から、あなたが輝ける働き方ができる場所を探すことをおススメします。
私も偶然のきっかけでNPOキャリアを歩み始めました。
今は、演奏者としての音楽との関わり、またファンドレイザーとしての音楽との関わりの両方を大事にしています。
複数の軸足が、良い相乗効果を生み出していると感じています。
ピティナは、職員のキャリア指向にとても寄り添ってくれる職場で、2022年4月からは「ファンドレイザー」というキャリアを深めるために、公益財団法人日本フィランソロピック財団で副業を始めることができました。
職場の環境は様々だと思いますが、自由にキャリアを描くためにも、自分がどんな社会課題にどのように関わっていきたいのか、しっかりとした軸を持つことが大切だと思います。
ファンドレイジング・スクールは、NPOキャリアの大きな転換期でした。オススメです!
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