5月下旬の新聞各紙に次のような記事が掲載されました。
「兵庫県加西市が、新型コロナウイルスの影響で困窮する世帯の支援のために設けた基金に、市の職員が受け取る特別定額給付金10万円を寄付するよう求めた。西村和平市長は、「強制ではないが、職員が率先することで市民に説明がつくと考えた」と話し、職員からの寄付を財源に含めることを前提とした予算を組んでいた。「寄付はあくまで任意で、強制ではない」と説明している。」。
寄付が急速に進み始めると、こうした「行き過ぎた事例」というものが生まれます。別の例として、東日本大震災のときに、学校で生徒にも呼びかけ被災者支援の寄付を募った際に、クラスの中でまだ寄付をしていない生徒の名前を先生が黒板を書き出したことが問題となったことがありました。
このような事例は、一体何が問題なのでしょうか?
世界的に、「寄付者の権利」「ファンドレイジングの原則」というものが民間で制定されています。日本でも、日本ファンドレイジング協会が中心となり、多くの人達との議論を経て、2010年に「寄付者の権利宣言」が制定されました。
5か条の宣言の中で、最初に掲げられているのが「寄付者は、寄付に際して、寄付先、寄付目的、寄付金額、寄付物品を自分の意思で決めることができます」というものです。
寄付を考えるうえで、本質的に最も重要な価値観がこの「寄付先は寄付者の自由意志で決める」という点です。どんなに良い目的であっても、環境的にそうしたほうが良いと思われても、寄付を強制するという見え方のする取り組みは問題があるということを意味します。
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